初代小島屋店主と二代目(昭和25年頃)
小島屋の創業ストーリー
小島屋の創業は岐阜県出身の小島正助が戦後、戦争より無事に帰還し、たまたま入手のつてがあった砂糖を使って甘納豆を販売したのがきっかけです。当時はとにかく生きていくのが大変な時代だったと聞いております。資料こそ残っておりませんが闇市として発達したアメ横の歴史、戦後復興の歴史の中で初代正助が奔走に奔走を重ね今の小島屋があることは想像に難くありません。
2代目の和之の時代には商品はナッツとドライフルーツが主力へ。アメ横も全盛期を迎え、和之のきっぷのよい接客は今もアメ横を行き交う人々との間で交わされています。
そして現在3代目、靖久により小島屋はアメ横の実店舗だけではなくインターネット通販を通じて、全国の多くの方々にナッツとドライフルーツをお届けさせていただいております。
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アメ横の歴史
- 1945(昭和20)年
- 太平洋戦争終戦
焼け野原の上野駅周辺にバラック小屋の簡易マーケットが建てられる。
禁制品の砂糖の代用である甘味料を使用したアメ菓子や芋アメが人気なり、アメ屋が急増する。
- 1950(昭和25)年
- 朝鮮戦争勃発に伴い駐留米軍からアメリカの物資が大量に流入するようになる。
飴とアメリカのアメから「アメ横」となる。
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小島屋の歴史
- 1945(昭和20)年
- 初代小島正助が甘納豆の製造販売を開始
甘納豆に使用する砂糖は当時禁制品だった。
- 1948(昭和23)年頃
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上野アメ横に店舗を構え仕入れ品販売開始
千葉県からの行商が多かったため、豆(落花生)と海産珍味(おつまみ)を取り扱っていた。アメ横にはアメリカからの輸入品を取り扱う商社の出入りが多かったためアメリカ輸入品のプルーンとレーズンを取り扱うようになった。
*昭和38年頃のアメ横 写真提供:須賀 一(スガフォート)
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- 1970(昭和45)年~
- アメ横店主が2代目へと移り替り、若者向けファッションやゴルフ用品を扱う店舗が増える
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<現在のアメ横>
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- 1980(昭和55)年頃
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ナッツの取扱量が増加。増加にともない、ナッツの自社焙煎をはじめる
- 1988(昭和63)年頃
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ドライフルーツの取扱いが増加。当時、ドライマンゴーを販売していているお店は日本でも珍しく、催事等での引き合いが多くなる
- 2004(平成16)年
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ネットショップ出店
- 01/09
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